愛とはなにか、というのがなんか人類のテーマっぽい感じに語られているような気がします (ほんまか?)
それがなんなのかよくわからない、というところに奥深さを感じられるからかもしれません。
Wikipedia を見てみても、たくさんポエムが書いてあって、結局なんだか分からない感じもします。
そういう神秘性に溢れた単語について、弊ブログでさくっと書いちゃおうと思います。
「愛」とは「相手に真実を伝えること」
「愛」とは「相手に真実を伝えること」です。
じゃあ「相手に嘘を伝えること」は?
人間は「相手に嘘を伝えること」を「優しさ」と呼んでいるようです。
ということで、情報の真偽という観点で「愛」と「優しさ」は表裏一体の関係にあります。
よく考えてみると、「真実の愛」「優しい嘘」という言い回しが脳裏に浮かびます。
確かに、「真実の優しさ」「愛の嘘」というのは、まあそういう言い回しもできるけど、なんか気持ち悪いような気がします。
人間が「愛」について語るのが難しいのは「愛する気持ち」「愛されたときの気持ち」の言語化に苦労しているからな気がします。
「愛する気持ち」「愛されたときの気持ち」というのはクオリアなので、まあ確かに言語化するのはそもそも無理という気もします。
というわけで「愛」とは「相手に真実を伝えること」です。
これを知っていれば人生でもう愛に迷わなくなること間違いなし!
自己愛とは「自分に真実を伝えること」
自己愛は当然「自分に真実を伝えること」ということになります。
よく不健全な自己愛みたいなのを見かけますが、これは単に「ありのままの自分を直視できない」ということです。
自分に自信がないのに素晴しい自分みたいな妄想をしていたり、過度に自分を卑下したり、というのが不健全な自己愛、という感じです。
「愛」が「相手に真実を伝えること」というのは、やっぱりどうもその通りな感じがしてきました。
まあ「ありのままの自分を直視する」のは実際のところ人間には難易度が高い感じもします。
まあでも誰かを愛したいのならやっぱり自分を愛するのが上手なほうがよい気もします。
「残酷」「裏切り」
「優しくしてほしかった人を愛してしまうこと」を「残酷」、「愛してほしかった人に優しくしてしまうこと」を「裏切り」といいます。
だから地球環境は「残酷」なのですね、大自然というのは慈愛に満ちているようです。
「優しい人」は「裏切り者」
人間は大人になるにつれて、相手に嘘をつくための訓練をたくさん受けるようになります。
そして、相手を騙すことが上手な人が「賢く」「いい人」であるかのような価値観に染まっていきます。
実際に現行の社会のルールは、嘘をつきまくるのが正義、というふうになっています。
大人とは「優しく」て「裏切り者」という感じみたいです。
でも大人は肝心の自分が愛されたいときに苦労しているようです。
それは他人に「優しく」することが正義であると盲信しているからではないのでしょうか?
嘘は文学の始まり
小説の始まりには嘘が書いてあり、最後に真実が書かれています。
最後に種明かしが書いてあるから小説は面白いのですね。
ということで、相手に嘘を伝えると、なんらかドラマが始まるということっぽいです。
そしていつか真実を伝えなければいけない瞬間がやってくるのかもしれません。
人生をドラマチックに生きたいなら、自分がどんな嘘をついていて、本音はなんなのか次第ということになりそうです。
これで人生もう愛に迷わない!
というわけで、相手に真実を伝えるかどうかの選択をうまくやれば、愛と優しさに困らないぽいことが分かりました。
やったね!